TOUCH WOOD VOL.20

原木の「目利き」を商売にする人々の世界。

原木探しシーズンが終わりを迎えた春、今年最後の原木探しの旅にアメリカへ行った。私は材木屋に生まれ育ち木材の魅力にどっぷりハマっているため広葉樹の大径木を仕入れに行く仕事が大好きなのだが、今回の旅は雪の心配もないため、森から森へ5泊で5か所原木置き場をまわるという強硬スケジュールに挑んだ。

原木の見極めは「木味」による。

日本から14時間のフライトを終え、はるばる来た壮大な田舎。大径木は大変高価なリスクある仕入なので、原木目利き勉強中の私は毎回師匠とも呼べる目利きを連れて行き、買うべき原木や買ってはいけない原木について教えてもらうのだが、その仕入れ判断基準が未だに分からない。一か所目の原木置き場だけでウォールナット、アッシュ、チェリー、レッドオークなど200本以上はあろうかという程大量で、近くだけでも50本もあるというのに、2分ほど見回って買うべきものがないと言う。目利きの人たちは原木の小口面と形を見て、その原木からどのような中身、つまり一枚板や突板が取れるかを想像しその価格とのバランスで購入するのだが、驚くべきはそのスピードとざっくり感だ。中身の見えない丸太を外見のみで判断して毎回1000万単位の仕入れをする。それも一本一本をゆっくり見るわけでなく競歩ほどのスピードで歩き、時々立ち止まって「正確なサイズは?」と聞きながら、また少し歩いて「これ、これ、これ」と候補の丸太を指名する。指名された丸太について「何が良いの?」と聞くと「木味(きあじ)」と答え、私が良さそうだと思ったが採用されなかった丸太について「何がいけなかったの?」と聞くと「木味」とまた答える。さらに木味の意味を聞いても「うーん、分からん。」と唸る。漢字が合っているかどうかも定かでないこの木味という言葉、日本語の辞書には載っていない目利き独特の意味不明な用語なのに、目利き同士の会話では必ず出てくる。

センスと度胸と勝負勘

そして「穴が空いているのは良くない」と聞いていたはずなのに「こっちの穴は気にしなくてよい」とか、「十字の割れは良くない」はずなのに「この割れは問題ない」とか、選別基準のルールは全然ルールになっていないし、こっちはどんな木目がどのように詰まっていてどんな色合いだと良い丸太なのかどうかリサーチして理論的に学ぼうと思って聞いても、誰もその意味を教えてくれない。なのに目利き同士でのみ「あれは木味が良く無いなぁ」「こっちの方がぬか目で良いな」(ちなみにぬか目という木目の形容もやっぱり辞書にはなく意味がわからない。)と会話が成立するのだ。原木レベル1か2の私にとって「木味」を理解するにはまだ早すぎる。念のため「目利きに必要な能力は?」と尋ねると「センスと度胸と勝負勘」とこれまた奥が深いような意味が分からないことを言われた。

そうして5か所の何百本もの原木の中からようやくコンテナ数本を仕立てた後の日本への帰途での会話で、目利きの師匠は写真も撮らないうえにメモもとらないくせに、あっちのウォールナットがいくらでこっちのチェリーがいくらとか何十本ものサイズと樹種と価格を正確に頭脳コンピューターに記録していたのには驚愕した。そのうえ過去に買った丸太を製材してできた一枚板の原価と売りがそれぞれこのくらいと、製品になっても頭の中で紐づいている。これが極めて特殊な目利きの仕事なのだ。そんな特殊能力も披露するくせに丸太の前にいると時間をすっかり忘れてくれるおかげで毎晩店が閉まるほど遅くなり、今回のアメリカは国民食ハンバーガー食べ比べ放題の油っこいツアーとなった。