TOUCH WOOD VOL.13

「俺の一張羅は、作業着だ!」木工おじいちゃんと出会った話。

日本全体が高度成長に沸く昭和30年代、豪華なラッピングを施されたトラック数台で運ばれる婚礼家具は人々の憧れの的だった。その時代に岐阜で生まれてからずっと、高級婚礼家具や無垢造作家具の製造に明け暮れ、社長一代の間に全国販売へと業績を伸ばし、地元の確固たる信頼を築き上げてきた木工会社がある。その「伊藤木工㈱」が明日、「板蔵ファクトリー㈱」と名前を変え世間にお披露目される。その会場で今、伊藤木工の社長で板蔵ファクトリー顧問を務める伊藤長次郎社長と板蔵ファクトリーの社長を務める私は対談のリハーサルをしているのだ。

はじまりは、7年前。

一番初めは7年前、木材市場での出会いだった。木材について一つ質問すると軽く15分以上解説&体験談&関係ない話も話してくれる「やたらと木工に熱いおじいちゃん」、そんな印象の社長だった。御年84歳、家具づくり一筋70年という超インパクトある経歴の持ち主だ。「あんたんどこの板の積み方はあかん。」「俺は突板も自分で作らな気が済まん。」「原木の木取りも分からんやつが良い家具なんか作れるか。」と絵に描いたような頑固一徹っぷりや、木材の目利きや家具製造においての自信満々発言がたまらない魅力で、私の中ではビジネスパートナーというよりは近所の面白いおじいちゃん的な存在だった。

が、あるとき伊藤社長から私の父へ「(伊藤木工を引き継いで)家具の会社をやらんか」と相談があったと聞いた。私はまさか!あの家具大好きおじいちゃんに限って、冗談じゃないの!?と流したが、そこから半年ほどして、やっぱりあれは本気だったのだと理解する状況になった。よくよく話を聞くと、継がせようと思っていた息子さんが亡くなって意気消沈していた、70年頑張ってきたが体力的に今後が心配だ、などの理由だそうだ。苦渋の決断だったのだろう事は想像に難くないが数回会っているうちに、一代で興した会社を自分の代できちんと整理したい、育ててきた職人に仕事を継続的に与えられる環境を作ってほしい、木のことを理解している会社に引き継ぎたい、という前向きな思いもひしひしと伝わってきた。だから私は、伊藤社長にとって木工は天職なのだから、これからも元気でいる限り顧問として一緒にやってほしいという率直な思いを伝えた。

新たなIFとしてREBOOTする。

こんなおじいちゃんは今の時代には天然記念物と言えるくらい稀少価値だろう。しかし全てが合理化、ファスト化する現代にこそ、彼のような考え方、こだわり、熱い思いが必要であり、人からも必要とされるのではないか。この熟練の技術やこだわり、仕事に懸ける思いは日本から失くしてはいけない、自分の子供や未来の子供たちに伝えたい、そう強く思った。木工ってこんなにも人の思いが詰まっていて何と面白いものか。木工が脚光を浴びたあの時代をもう一度見たい。もう一度現代の世の中に再提案したい。そんな思いで“REBOOT MOKKOU”(木工の再起動)とコンセプトを打ち、伊藤木工の伊藤社長はじめ職人さんたちに助けられ、会社を引き継ぐ決断をした。 そこから季節が数回変わり、ようやく引き継げる体制になった。伊藤木工の入り口にあった「インテリアプラザIF(イトウファニチャ―)」の看板が「IF(板蔵ファクトリー)」のロゴに変わったとき感じた、義務感と責任感、期待感とワクワク感の混じった複雑な思いを胸に、明日、私たちは新たなIFとしてREBOOTする。